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究極の断捨離をやってしまいました❢❢ あー、お気に入り抹茶茶碗が・・・・ 

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オヤジです。

ガーン ご覧のとおり、ついに、やってしまいました。

断捨離について、関連するものを含め、数記事を書いてきました。

もう、当分、断捨離について、記事を書くことはないだろうと、正直なところ思っていました。

しかし、自ら書くネタをつくってしまいました。

今回は、割れた抹茶茶碗の話です。

 

はじめに

断捨離しづらいモノ・コトには、人の想いや思い出が頭をよぎるモノ、大事なモノ、高価なモノ、ヒトからいただいたたモノ、お中元、お歳暮、年賀状等他人の目が気になってやめることができなくて、結局続けているコト等がありますよね。

しかし、断捨離には、自らと対話しながら、「捨てない」選択もありだそうです。

「自分が、ほんとうにいつでも持ち続けたい。」「ほんとうに自分がしたい。」という自分軸が、そして、「今」を大切にする時間軸の2つの軸を中心に『今の自分に、このモノ、コトが本当に必要なのか』と自分を見つめることが断捨離の重要な点のようです。

そして、断捨離は、必ずしも「捨てる」だけでもなく、自分と向き合い、結果として、「必要なモノ、コト」であれば、捨てずに取っておくことも断捨離のひとつの大事な考え方のようです。  

割れた抹茶茶碗

冒頭の割れた抹茶茶碗は、私の姉がいただいたものを、さらに私が譲り受けたお気に入りの茶碗でした。

その2つのお気に入りの茶碗と、以前記事で紹介させていただいた茶碗の計三椀を茶櫃(ちゃひつ)に収納し、大切に保管していたものでした。

断捨離を開始してから、いらないものを中心にずっと継続してきましたが、自分の趣味や嗜好に関するモノ、コトの領域については、正直なところ手つかずでした。

そして、いよいよ、それに着手し、「でも抹茶茶碗は、いただき物で大切なものだから、違うよね。」と自らと向き合い答えを出し、落として割ってもいけないから、安全なところにと移動させようとしました。

すると、茶櫃を持った瞬間、あっっスルッガシャッ・・・

あー嫌な音、ついに、やってしまった・・・・・

究極の断捨離をやってしまいました。

落とした茶櫃の蓋をあけると、

ガーン ・・・・・

 

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その結果が冒頭の写真のありさまです。

割れた茶碗が、まるでコピーをしたかのような割れ方も意味深く感じられましたが、何より、以前記事で紹介したある先代家元から練習用茶碗としていただいたあの茶碗だけは、奇跡的に無傷だったんです。

全て割れても不思議のない状況の中で、たったひとつ、原形をとどめていたんです。

 

足るを知る

老子の言葉に『足るを知る』があります。

老子の言う、「足るを知る」は、仕方なく満足するといった消極的な満足をするという意味ではないようです。

「これで良い」ではなく、「これが良い」と思える生き方のようです。

今の、自分自身に満足することこそが、「足るを知る」ということのようです。

今の私の心境は、仕方なくの「足るを知る」だったのが、今の「足るを知る」に少しずつ変化しています。

今は、茶櫃の中は、茶碗ひとつです。

 

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感謝の気持ちを込めてお点前

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 割れずに存在している茶碗に感謝の気持ちを込めて、自己流ですが、薄茶を点ててみました。

 

おわりに

断捨離を始めてから、いろんな変化、出来事が次々とあり、日々、気づきがありました。

自分自身を大切にできないのに、他人を大切にできません。

ひとつのモノを大切にできないのに、多くのモノも大切にできません。

ひとりのヒトを大切にできないのに、多くのヒトも大切にできません。

もう1回、一からやり直してみます。

 

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。