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【大和ミュージアム】呉市海事歴史科学館必見❢❢ 海事スポット【呉】観光❢❢ ~ハーレー・ツーリング~

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オヤジです。

瀬戸内海、芸予諸島海域で船釣りをしていると、海上自衛隊の艦船が航行していたり、海面に浮上した潜水艦が航行するのを時々見かけます。

また、芸予諸島の島々には、造船所が多くあり、それらの先には、その発展の中心となった広島県の呉市があります。

広島県呉市は、造船の拠点となり、鎮守府として海軍とともに発展してきた歴史があります。

江田島には古くから海軍兵学校があり、呉市では、過去、多くの艦船が建造され、海上自衛隊に変わっても、その鎮守府としての役割を担ってきた歴史は脈々と受け継がれています。

そんな、海事都市として発展してきた広島県呉市の海事スポットのひとつに『大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)』があります。.

とても気にかかっていたスポットであったものの、なかなか行く機会に恵まれませんでしたが、先日、ようやくバイクツーリングで行くことができました。

 しまなみ海道経由のツーリングルート 

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出発地点は、来島海峡大橋が一望できる愛媛県今治市にある糸山公園

あいにくの曇り空でしたが、西瀬戸自動車道、通称しまなみ海道へ今治北インターチェンジから流入しました。

潮風を浴びながら、海神・武神として古代から崇敬される大山祇神社が鎮座する大三島など芸予諸島の島々を経て、広島県尾道市までを通過。

山陽自動車道では、途中、渋滞に巻き込まれましたが、それを抜けるとスムーズに走行することができ、続いて東広島呉自動車道に入り、快走路を気分よく走行して阿賀インターチェンジから流出、目的地、広島県呉市に向かいました。

出発地点から片道約150㎞、往復約300㎞のHARLEYバイクツーリングとなりました。

【ツーリングルート図】

 

 青空の中『大和ミュージアム』に到着

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出発時は曇り空だったものの、大和ミュージアムに到着する頃になりますと、青空が広がっていました。

写真は、大和ミュージアム正面付近の様子です。

左側の建物が『呉市海事歴史科学館』、通称『大和ミュージアム』です。

写真右奥に見える大きな物体「潜水艦」を初めて見た瞬間、『うわっ、でかっ』と目が釘付けとなっていました。

海上自衛隊呉史料館『てつのくじら館』です。『てつのくじら館』については、次の機会に記事にしたいと思います。

写真手前右側には、収容台数220台の大和ミュージアム立体駐車場があり、大和ミュージアムの奥左側には、収容台数65台の大和ミュージアム駐車場があります。

私は、バイクでしたので、大和ミュージアムすぐ横の駐車場に向かいましたが、交通整理をされていたガードマンの案内で、バイク専用駐輪場所に誘導していただき、スムーズに止めることができました。

駐車料金は、二輪は無料でしたが、自動車は、1時間100円のようでした。

 

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大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)

大和ミュージアム利用情報

所在地 広島県呉市宝町5-20

【開館時間】

展示室・ミュージアムショップ

9:00~18:00(展示室入館17:30まで)

【休館日】

火曜日(祝日の場合は翌日)

【観覧料】 

・常設展 一 般   500円

     高校生   300円

     小・中学生 200円

・企画展・特別展   別料金

※ 企画展の場合には、常設展示とのセットがお得

【駐車場】 

・大和ミュージアム駐車場 65台(1時間100円)

・大和ミュージアム立体駐車場 220台(1時間100円)

 交通アクセス

【車利用】 

・東広島呉自動車道阿賀インターチェンジから約10分

・広島呉道路(クレアライン)仁保インターチェンジから呉インターチェンジ利用で約20分

【電車・バス利用】

・JR呉駅からペデストリアンデッキを通り約5分

・広電バス宝町中央循環線「ゆめタウン・大和ミュージアム前」バスストップ下車すぐ

【フェリー利用】

・呉中央桟橋から徒歩1分

  

 

大和ミュージアム屋外展示

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駐車場から外観が煉瓦調の壁と建物の間の通路を通り、大和ミュージアム正面出入口に向かいますと、建物側に戦艦『陸奥』の主錨、主砲身、スクリュー、主舵等が屋外に展示されています。

んー、やはりでかい❢

と目を見張りながら歩いていくと、正面出入口に到着しました。

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 大和ミュージアム正面出入口では、常設展とは別に「海底に眠る軍艦」という企画展を開催中であることがわかりました。

早速、入口から入りますと、左側にはミュージアムショップがあり、いろんなグッズが販売されています。

右側には受付カウンターがあります。

常設展示と企画展両方を観覧する場合は、セットのチケットを購入する方がお得なようでしたので、今回、私は、一般 800円を支払い、セットのチケットを購入して入館しました。 

大和ミュージアム展示室 ~呉の歴史~

正面玄関から入ると正面に位置しているのが、常設展示室になります。

この展示室では、「呉の歴史」について紹介されています。

流れとしては、

・呉浦の風景

・呉鎮守府の開庁

・呉海軍工廠の設立

・大戦景気と呉海軍工廠

・生産と管理の合理化

・広海軍工廠と第11海軍航空廠

・技術の結晶 戦艦「大和」

・呉と太平洋戦争

・終戦と呉

・軍港から平和産業港湾都市

と進み、各テーマごとに写真をはじめとする資料、模型等をふんだんに使い、詳しくその歴史が説明されています。

じっくり観覧すると相当時間がかかりそうです。

写真撮影については、NGではなく、フラッシュ撮影が禁止されているようでしたので、 フラッシュを使用せず、中の様子を撮影させていただきました。

写真では、各コーナーがどのような感じで説明されているか、ある程度おわかりになるかと思います。

是非、実際に見ていただきたいと思いますので、ここでは、説明は割愛させていただきます。

その雰囲気だけでも感じ取っていただけたらと思います。

 

【呉浦の風景・呉鎮守府の開庁・呉海軍工廠の設立】

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【大戦景気と呉海軍工廠・生産と管理の合理化・広海軍工廠と第11海軍航空廠】

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 【技術の結晶戦艦「大和」】

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【呉と太平洋戦争】

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 【広海軍工廠と第11海軍航空廠】

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 【終戦と呉】

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 【軍港から平和産業港湾都市へ】

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戦艦『大和』の概要

ここで、紹介されていた戦艦『大和』の概要をピックアップしておきますね。

建造所 呉海軍工廠

起 工 昭和12年11月4日

進 水 昭和15年8月8日

竣 工 昭和16年12月16日

沈 没 昭和20年4月7日 (徳之島西方沖)

全 長 263.0メートル

最大幅 38.9メートル

満載排水量 72.809トン

公試最大速力 27.46ノット(時速約51キロ)

軸馬力 153,553馬力

航続力 16ノットで7.200海里(13,334キロ)

主機械 タービン4基

プロペラ直径 5メートル

主砲 45口径46センチ 3連装 3基 9門

   砲身長 20.7メートル

   射程距離 42,000メートル

副砲 3年式60口径15.5センチ 3連装 4基 12門(竣工時)

   砲身長 9.3メートル

   最大射程 27,000メートル

乗員数 3,332人(最終時)生存者276人

建造費 約137,802,000円

    昭和11年3月艦政本部試算

 

当時の最新技術の結晶『大和の技術』

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『大和』は、国力において量的に優位なアメリカに対して、日本が質で対抗しようとして当時の最新技術を結集して建造された戦艦であることは、知られているところです。

それらの技術は、日本の戦後復興と高度成長を支え、現代にも受け継がれているようです。

写真の案内文を要約すると次のとおりです。

 【ブロック工法・先行艤装】

従来の工法から船体の組み立てと並行して艤装(装置、整備等を施すこと)が採用され、建造期間が短縮され、戦後の造船業、高層ビル建築にも活用されている。

【生産管理システム】

工数制御方式等の科学的管理方法を取り入れ、低工数、低コストを実現し、戦後約10年で、日本を世界一の造船国にし、トップクラスの生産大国になる礎となっている。

【精密光学機器】

目標までの距離を測る大和の15m測距儀は、世界一の大きさと性能を持っており、戦後カメラの精密光学機器に影響を与え、日本の精密光学機器産業を世界有数のものに育てた。

【46センチ3連装主砲】

主砲などを製造した工作機械は、戦後大型船のクランク軸製造に使用され、組立ピットは、現在、原子炉の圧力容器の漏れを調査する水圧試験等に使用されている。

【球状艦首】

造波抵抗を減らし、世界の大型タンカーから漁船に至るまで幅広く利用されている。

 【弱電技術】

「大和」の冷暖房技術、冷凍・冷蔵技術は、戦後、弱電(家電)技術の基盤になっている。

【製鋼技術】

 「大和」の特殊装甲鈑は、従来の装甲鈑の対弾効力よりも高く、製造期間も約半分で画期的なもので、製造原価の低減に役立ち、戦後、特殊製鋼の製造に利用されている。

【発電と配電技術】

「大和」の発電機は、8基で4,800キロワットの発電力があり、8基を1基1室に配置し、各室を遠ざける等の配電技術は、戦後、大型発電機の発達を促した。 

【主機(タービン)】

 「大和」は4基のタービンを搭載して出力150,000馬力を発揮し、機関の設計は、信頼性と安全性を重視したものになっていた。

【推進器(スクリュー)】

推進器(スクリュー)は、3枚翼、直径5メートルの日本発、超大型推進器で、鋳造、鋳物技術の集大成であり、戦後の鋳物技術の基盤となっている。 

【操舵性(舵)】

 従来の戦艦は、2枚の舵を左右に並べて装備していましたが、「大和」では、約15メートル離して前後に装備し、被害を受けにくく、旋回性も艦が大きいにも関わらず良好なものとなった。

【応用された技術】

呉海軍工廠第4船橋渠の近くにあった造船実験部は、戦後、鉄道技術研究所が開かれ、旧海軍工廠技術者が集められ、高速鉄道(新幹線)の研究や造船に関する実験が行われていた。

 

戦艦「大和」建造で培われた技術は、造船だけでなく、製鋼、建設など様々な分野で現代でも受け継がれていることが紹介されています。

  

大和ひろば【10分の1戦艦『大和』】平和の尊さを後世に伝えるシンボル 

常設展示室から「大和ひろば」に移動しました。

目に入ったのは圧巻、10分の1戦艦『大和』です。

細部まで再現されているようです。

本物の『戦艦大和』の全長は、263メートルですので、この10分の1『戦艦大和』の全長は26.3メートルになります。

この10分の1戦艦『大和』サイズの船でも、普通に見かけますよね。この10倍のサイズということは、やはり巨大であったことがわかります。

戦艦『大和』は、戦前の造船技術の結晶として建造され、戦後は、その技術が復興の礎となっているようです。

そして、戦争を改めて見つめ直し、この10分の1戦艦『大和』を展示することによって、人々の思い、平和であることの尊さを後世に伝えるためのシンボルとして建造されたようです。

  

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大型資料展示室

大和ひろばの観覧を終え、順路を進むと、次は大型資料展示室です。

もう、あまり展示物はないのかなと勝手に思っていたところ、いきなり、魚雷が目に入り、さらに中に進みますと、いわゆるゼロ戦と潜航艇が現れ、その存在感を示していました。

大型資料展示室には、特攻にまつわる兵器の各種魚雷、零式艦上戦闘機六二型、特殊潜航艇「海龍」等が展示されていました。

 

【各種魚雷】

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【九三式魚雷】 

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九三式魚雷は、従来の魚雷の射程距離不足等を補うため開発された長射程の燃料酸化剤に純粋な酸素を用いた「酸素魚雷」と呼ばれるもので、太平洋戦争までにこれを実用化できたのは、日本だけだったそうです。

 

 【特攻兵器「回天」十型】 

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「回天」は、人間が魚雷を操縦しながら、目標とする艦艇に衝突させる特攻兵器で「人間魚雷」と呼ばれていたものです。 

この魚雷による戦没者は、搭乗員だけでも100人以上だそうです。

  

【 零式艦上戦闘機六二型・特殊潜航艇「海龍」】

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 【 零式艦上戦闘機六二型】

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零式艦上戦闘機は、昭和15年に海軍の制式機 として採用されたそうです。

当時、その機動性、装備、航続距離において、世界に類を見ないものだったそうです。

戦況の悪化とともに昭和19年10月からの「神風特別攻撃隊」の編成以降、爆弾とともに飛行機ごと体当たりする攻撃法によって、若い尊い命が多く失われたことは知られているところです。

 

 【 特殊潜航艇「海龍」】

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特殊潜航艇「海龍」は、有翼潜航艇で、水中を飛行機のように自由に潜航、浮上することを目指して開発されたそうです。

後期量産型では、艇首に600キログラムの炸薬を搭載し、両脇に装備された魚雷を発射後、目標の艦艇に突入する水中の特攻兵器となっていたそうです。 

 

第27回企画展 ~海底に眠る軍艦~

 「海底に眠る軍艦」と題した企画展は、戦艦「大和」や「武蔵」を中心に、近年の潜水調査で発見された軍艦を取り上げて、太平洋戦争の経過を辿り、潜水調査映像や引揚品を通じて、太平洋戦争とは何だったのか、改めて考える機会を与えるものとして企画された内容のようでした。

この企画展も是非、直接観覧していただきたいと思いますので、詳しい説明は、割愛させていただき、写真で雰囲気だけの紹介にとどめておきます。

 

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【海軍艦艇の沈没位置精密図~発行:戦没遺体収揚委員会発行】

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 【艦船(海防艦以上)喪失一覧図、附終戦時海軍主要部隊位置】

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出口付近の展示に、「ある調査によると、太平洋戦争によって、軍艦651隻陸海軍の徴用船を含む2,934隻沈没しました。これらの艦船は未だ、海底に沈んでいます。」とありました。

えっ、この数の多さに驚きを隠せませんでした。

一見、平和で、のどかな海であっても、その底には、半端ない、おびただしいい数の沈没船が横たわっている現実を知らされました。

 

まとめ

今回、大和ミュージアムにようやく行くことができました。

私自身、各コーナーを回りながら、父や叔父のことを考えてしまいました。

私の父は、太平洋戦争で戦地に赴く直前、終戦を迎え、今の私が存在することにつながりました。

先に出征した私の叔父は、軍艦には乗船していませんでしたが、沈没した2,934隻の内の1隻に乗船していて殉死した乗組員の1人ということになります。

悲しい出来事であったとしても、ありのままの事実、歴史を知り、すべてを受け入れることは、とても大切なことだと思います。

私も知らなかったことがたくさんありました。

戦争とは何っだたのか、改めて考えさせられました。

時代も令和にかわり、私も含め、戦争を体験していない世代がほとんどとなってしまいました。

命の尊さ、平和の尊さを学ぶ平和学習の場としては、とれもすばらしミュージアムであると感じました。

一生に一度は、是非行くべき、おすすめスポットだと思います。

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました❢