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大阪、堺で生まれた千利休、『千利休屋敷跡』を訪ねてみました❢❢

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オヤジです。

 

先日、日帰り出張で、大阪に行ってきました。

滅多に行くことができなかったなので、仕事の合間にどうしても行きたい所、2か所に立ち寄りました。

 

 

伝統工芸士が作る堺打刃物の町、堺

1か所目は、伝統工芸士が作る堺包丁『實光刃物』さんに伺いました。

また、訪問したくなるような素晴らしい工房お店、そして包丁でした。

『實光刃物』さんでは、ペティナイフを購入させていただきました。

その時の様子については、前回、記事にさせていただきましたので、こちらでどうぞ ↓↓↓

 

oyazirogu.hatenablog.com

 

『茶の湯』を発展させた商人の町、堺

もう、1か所は、冒頭の写真からイメージしていただけたかと思いますが、『千利休屋敷跡』でした。

 

写真に写っている茶碗は、約20年余り前、私の知人を介して、茶の湯に人生をかけてきた方から、私にと練習用としていただいた茶碗でした。

 

これまで私は、特定の先生に茶道を学んだことはありません。

 

姉や母がたまに薄茶をたてるのを見よう見まねで点ててみたり、職場での教養の一環として数回教わった程度でした。

 

ですから、その茶碗をいただいた時、近くの先生にご指導していただこうかなと思い、そのことをお伝えしていただいたところ、「私が教えます。それまで自分がしたいようにお茶を点ててください。」と言われたそうです。

 

それ以来、私は、特定の師に学ぶことなく、ほんと不作法だと思いますが、自分なりにお茶を点てるようになったのです。

 

あたたかい言葉と茶碗をいただいてから既に20年余り、まだ、一期一会に至っておらず、一期無会のままです。

 

そんな経緯もあり、今回、思い出深い、大阪府堺市に出張となったことから、どうしても、千利休にかかわりがある『千利休屋敷跡』に行ってみたくなり、『實光刃物』さんに立ち寄った後、車で約10分のところにある『千利休屋敷跡』に向かいました。

 

 

『千利休屋敷跡』

千利休屋敷跡に到着

市街地の中にぽっかりと空いたような場所にありました。

やはり、シンプルな造りの中にも趣のある塀や門でした。

 

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外観を少し眺めた後、早速、中に入ることにしました。

 

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門をくぐって中に入りますと、石灯篭に井戸、石碑と木々等が目に入り、思いのほか質素な感じの空間でした。

 

私が勝手に想像していたイメージとはちょっと違いましたが・・・。

 

私が、しばらく、見渡していると、黄色の上着を身に着けた、ボランティアのガイドの方がいらして、この千利休屋敷跡や井戸に関する案内をしてくださいました。

  

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石畳を進みますと、正面には石碑がありました。

 

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この石碑には、『千利休』に関することが彫られていました。

 

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千利休に関する石碑をしばらく眺め、彫られた文面を読み終えると、続いて、井戸の方に向かいました。

 

井戸の様子です。

 

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井戸の屋根については、千利休と因縁のある大徳寺の古い部材で建てられたそうです。

 

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この井戸に関して、私が説明するよりも、堺観光ガイドに分かりやすい説明がありましたので、引用しておきますね。

 

堺で生まれわび茶を大成した千利休。

天下一の茶匠として権勢を振るい茶道千家の始祖・茶聖と称されています。

屋敷跡には椿の井戸と利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材で建てられた井戸屋形があります。

千利休は大永2年(1522年)、堺今市町(現在の宿院西1丁)の豪商魚屋(ととや)の長男・与四郎として生まれました。

17歳の時北向道陳に茶湯を学び、のちに武野紹鴎に師事しわび茶を大成させました。

茶の湯をもって信長に接近し、その死後は秀吉の茶頭として仕えながら、北野の大茶会を取り仕切るなど天下一の茶匠として権勢を振るいましたが、小田原の役後秀吉の怒りにふれ自刃しました。

現在の茶道千家の始祖であり「茶聖」と称せられています。

屋敷跡には椿の井戸が残っていますが、椿の炭を底に沈めていたといいます。

井戸屋形は利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材を用いて建てたものです。平成27年のリニューアル後は、敷地内も見学できるようになりました。

 

出典 堺観光ガイド

 

ガイドの方のお話では、

この井戸の屋根は、京都・大徳寺山門(金毛閣)が昭和の大改修を行った時に、古い部材を使って建てたことは間違いないそうです。

 

昔、この辺り一体の1000坪を超える敷地が千家の敷地だったらしいようですが、今では裏千家が所有している屋敷跡はこの70坪程度だそうです。

 

そして、江戸時代の後期に、酒造業を営んでいた加賀田太郎兵衛が利休を偲んで建てた「懐旧庵」が、この『千利休屋敷跡』の土地に建っていたことは間違いないそうです。

ただ、千利休の屋敷そのものがこの位置にあったかどうかは、はっきりとはしていないようです。

 

いずれにしても、『千利休屋敷跡』は、はっきりしない部分もあるようでしたが、千利休を偲ぶ場所となっていることだけは間違いないようでした。

 

 

茶道には、『一期一会』『和敬清寂』『雨降らずとも傘の準備』といった言葉がよく使われます。

 

いずれの言葉も生きていく上で本質的な部分に気づかさせてくれる、とても素晴らしい言葉であり、私の座右の銘となっています。

 

まだまだ未熟な私ですが、平成から令和へと時代が変わるとともに私自身の転機も迎えるような、そんな予感がしています。

 

近い将来、一期一会を迎えられることをひそかに願っています。

 

おわりに

今回の出張では、時間の都合で、『千利休屋敷跡』しか立ち寄れなかったのですが、斜め向かいには、『さかい利晶の杜』という大きなモダンな建物の文化観光施設があります。

 

www.sakai-rishonomori.com

 

その中には、千利休茶の湯を歴史文化から解き明かす「千利休茶の湯館」があり、「茶の湯体験施設」では、表千家・裏千家・武者小路千家のお点前により椅子席でお抹茶とお菓子を味わっていただく立礼呈茶や、茶道三千家の指導のもとお客様自身がお茶を点てる茶室お点前体験ができるようです。

 

また、千利休がつくった茶室で唯一現存する国宝の茶室「待庵」の創建当初の姿を復元した「さかい待庵」もあるようです。

 

今回、『さかい利晶の杜』を目の前にしながら、立ち寄れなかったのが、ほんとうに残念で仕方がありません。

 

近い将来、今度は、時間をとって、ゆっくり堺に行きたいと思います。

 

茶道に興味がある方もない方も、堺という町に一度足を運んでみてはいかがでしょう。

 

きっと、何か得るものがあると思います。

 

 

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました❢❢